支那そばや 本店

創業者佐野実氏が1986年藤沢市鵠沼海岸にラーメン専門店「支那そばや」。
こだわり抜いた食材を産地にネットワークを作るところからはじめ、それらを活かすための技術を磨き、食材だけでなく器にも最適解を求めるなど、ラーメンを美味しくするための努力は人並みならないもの。その姿勢には多くのフォロワーがつき、ラーメン界そのものにも影響を与えたお店だ。

お店の歴史

佐野さんが35歳のときに、当時勤めていた洋食屋さんから独立したのがきっかけ。当時は洋食屋の料理人は45、46歳には独立しないと肩を叩かれる、というような業界だった。当初は洋食を始めることも考えたが100万円しかなかった。

当時から面倒見が良かった人みたいでね、給料は結構もらっていたみたいただけど後輩たちにごちそうするために殆ど使ってしまっていたみたいなの。

洋食屋で働いている頃からラーメンでいくと決めていたかどうかは定かではない。ただ高校時代にラーメンを食べるために学校を抜け出したのが先生にばれ、停学を食らったこともあるくらい好きだったので、ラーメンを作るようになった。戸塚の街灯も無いような場所が安く、かつ出身高校の藤沢が近いということで土地勘もあったので店をだした。

その後にそのエリアに次々と店ができた。
当時向かいの洋食屋さんの店主が来店し、「こんなラーメンのスープのとり方は見たことはない。店主も洋食屋さんの見た目だし、すごい店だ」と漏らしていた。そのような印象を受けた人が佐野さんに教えを請うようになった。

食材選びの根本には洋食時代に培われたセンスとラーメンへの思いがある。単なる高級食材だけでなく、選んだ食材をかけ合わせる技術や相性を見る目、水などが大事だと気付いた。鶏一つにしても、なにかひとつの材料ではなく複数の種類の鶏を合わせて調和を大事にした。名古屋コーチンや比内地鶏など、ガラではなく丸鶏で使っている。

山水地鶏は、これまであった様々な地鶏をかけ合わせている中で、付き合いのあった精肉屋を誘って思う理想のスープを作るための鶏を探したい、と水が美味しく環境が良い岡山まで探しにいった。岡山の信頼できる養鶏場と共に、ひよこを選びぬくところから初めて山水地鶏が出来上がった。

苦労したこと

今でこそ超有名店である支那そばやだが、開業直後2年ほどは辛い時代が続いた。電話代を節約するために、昼は電話に出るのをやめたほどであった。そんなときに好きだった「春木屋」にいってラーメンを食べ、1人で電話ボックスの中で涙した日もあった。

妻であり仕事のパートナーであるしおりさんにも、カリスマを支えるパートナーならではの苦労があった。

店主の人柄・想い

「ガチンコ ラーメン道」をみると鬼のようだけど、実際は人情味のある人なのよ。ラーメンの鬼は、怒鳴る、という鬼というよりは、こだわりに対する姿勢がそうさせているのかもしれないわね。

支那そばや 本店

【所在地】神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4081-1
【電話】045-827-3739
【アクセス】JR東海道本線・市営地下鉄「戸塚」駅より徒歩5分。東海道(旧国道1号)「清源院入口」信号すぐ。戸塚駅から230m

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